マグネット ・オブ・フォー

 

1章・エピローグ

1・亜沙美と真澄

宮本亜沙美は佐々木真澄が嫌いだ、今いる高校はもうすぐ卒業だが、三年ともずっと同
じ教室にいる。何故嫌いかって?それはキテレツ大百科のブタゴリラとトンガリの関係そ
のままだからである、いつの時代でもどの学校でもこんなペアはいるのではないだろうか。

  学校が終わり、亜沙美は誰もいない教室の窓をあけて涼しい風を浴びていた、吹奏楽の
管楽器の音が遠くから聞こえてきて、卒業すればこの風景やこの音ともお別れかと思いつつも
複雑な気分にひたっていた。
  しかしその真澄が亜沙美の後ろにソロリソロリと迫っていた。
「亜沙美ッ!」真澄が亜沙美の頭をガッチリとヘッドロックしてこめかみをグリグリした。
「いだだだっ!」亜沙美は涙目になって抵抗するが、ヘッドロックは外れない。
「やめてぇ、やめてよぉぉぉ」必死になって暴れるとやっとヘッドロックは外れた。
「いだだだだ……」亜沙美はその場にこめかみを押さえてうずくまった。真澄にとってはス
キンシップのつもりだが、亜沙美にとってはいい迷惑である、
「勘弁してよぉー、ただでさえ力強いのにグリグリしないでよぉー。」
亜沙美は160センチの小柄で髪型はポニーテール、それに比べて真澄は175センチと
亜沙美より大きく、 肩まで伸びた髪、亜沙美よりガッチリした体格である。
「そういえばあんた、高校ももう卒業だけどこれからどうするか考えてるの!?」
「いや・・・どこか大学行こうかなって思ってる。」
「どこかって、まだ決めてないならいい所あるんだけどさ、面接に来ない?。」
「えー、何ていう学校?。」
「いいからいいから。明日10時ごろに学校に行くから、8時半くらいに家に来てね!。」
窓からの風でカーテンがふわりとなびく。
「早いなぁ、もっと遅くいかないのー?」
「だめだめ、もう決めたの!いい?待ってるよ、バーイ!。」
そう言うと真澄は風のように走って、教室から消えた。

2・学校
 
  結局、亜沙美はそれから30分位学校でゆっくりしていたが、学校が暗くなるにつれ、ど
んどん場の雰囲気が気味悪くなってきたので、あわててそこから飛び出した。
 (まあどうせ面接の後にテストがあるだろうから適当にやって落ちてやろう)
学校の帰り、街灯の並ぶ川沿いの道で 亜沙美はとぼとぼ歩きながらそう考えていた、
よく考えれば高校の卒業が 迫っているというのにあまり深刻に考えていない。
最悪、真澄の紹介してくれた学校でも いいかな、どんな事を勉強するのかな、そんな事も
考えていた。
 亜沙美の家は古いアパートに母と住んでいる、父親は亜沙美が小さい頃に蒸発してし
まっていたが、あまりに小さい頃の為に覚えておらず、そこまで不便だと悩んだことは無い。
  「ただいまー」古いきしんだ音をたてるドアをあけて亜沙美が家に入る。
「おかえり、ご飯できてるわよ。」亜沙美の母親が居間でテレビを見ながら言った。
「あのさ、進学の事なんだけど」亜沙美がおそるおそる切り出した、家は財政難でひょっと
すると進学は無理かもしれないので今まで聞くに聞けずにいた。
「明日、真澄に紹介された学校を見に行くんだけど・・・いいかな?日曜日だし・・・。」
亜沙美の母親は寝転んでいる体制のままこちらへゴロンと転がって言った。
「バイトして自分でお金払うなら行ってもいいけど、そうでなかったら無理だよっ!。」
「うん・・・とりあえずじゃあ明日とりあえず行って見るから、見るだけね・・・。」
「あいあい・・・」また母親はクルリと向きを変えてテレビの方へ向きなおした。
 亜沙美にとって母親と真澄は性格がよく似ていて時々嫌だなと思える時がある。心の中で
何なんだよこいつはと思いながらふてくされつつ、障子をあけて亜沙美は自分の部屋に
入った。

3・何ですと!?

部屋にセットした二つの目覚まし時計と、携帯電話で設定しておいたアラームが部屋に鳴り響く。
「眠いよぉ、寝たいよぉ。」一人で叫びながら亜沙美はモゾモゾと布団に入るが、真澄の顔を思い出すと
しぶしぶ起きずにはいられなかった。
  いつも起きている時間なのに、休みの日は眠たいものである。
服を着替えて髪をセットして、机の上にある履歴書をバッグに入れて準備完了。 
 朝の気持ち良い太陽の光。早起きは三文の徳だな、と思いながらも、これから行く学校でい
きなり面接なんておかしいなとも考え、亜沙美は複雑な気分で歩いていた。
「よーっ亜沙美、おはよう〜。こっちこっち!」二階から、とぼとぼと歩いてきた亜沙美に真澄
が声をか けた。「今降りるからさ、待ってて。」ドンドンと階段を降りる音がして、しばらく する
とガチャリと ドアが開いて 真澄が出てきた、既に支度が出来ており、大きなバッグをかけて
いた。
「真澄、何〜そのでっかいバッグは・・・」
「これはね、着いたら分かる分かる、行こっか。」
「うん、分かった、履歴書だけ一応持ってきたよ。」
「履歴書ね、いらないと思うけどね、ひひひっ。」
亜沙美に不安がよぎった。それから二人は電車に乗った。どうやら隣町のようだった。
電車に揺れながら、どうかまともな学校でありますようにと亜沙美は必死に 祈っていたが、
考えてもどうにもならないと思って亜沙美は考えるのをやめた。
  時折、 電車が揺れた時に真澄の大きなバッグから青いものがチラチラ見えて気になる。
電車を降り、少し都会の町を少し歩く、最初は大通りだったが、どんどん暗い路地に入って行き、
亜沙美の不安がピークに達した頃にその「面接会場」へついた。

霧島ボクシングジム

「な、何ですと!?」亜沙美の手からバッグが落ちる。

4・「試合?」

「何ですと?って、ボクシングジムよ、これこれ。」真澄がバッグからゴソゴソとボクシング
グローブを出した。チラチラ見えていたものの正体はボクシンググローブだった。
「えぇぇぇ!で、ここで付き人とかやるの?怖くてできないよー。」
「いや、あんたも試合に出るように試験うけるようになってんのよ。」
「ひぃぇぇぇぇぇ」
亜沙美がパニックをおこして地団駄を踏んでいる、そのさわぎで中から一人の女性が出
てきた。
  「お、来たねー真澄ちゃん、その子がテスト受けに着た子?かわいいねー。私、ここの
オーナーの霧島、よろしくねん。 」
30歳前だろうか、しかし驚くほどの美人で、ストレートの長い黒髪が美しい。
  「そうそう、こいつね、亜沙美っていうんだけど、見てやって。」
  「いぃー、テストって、ボクシングなんて出来ないよぉー、帰っていい?」さらにパニック
になる亜沙美だが、本人の意思と裏腹に話は進行して行く。
  「じゃあさ、とりあえずジムの中入って。」
亜沙美と真澄はジムの中へ入る、少しカビのような匂いとほこりっぽい感じが混じって
亜沙美はむせそうになった。
  「真澄、帰りたいよ、ボクシングってちゃんと試験受けないと試合できないんでしょ、無理
だよぉ。」
  帰ろうとするが、後が怖くて帰れない亜沙美が涙目になって訴える。
「大丈夫、これ違法の裏世界のボクシングだから、素人でも参加できるし。」
  「いいぃいー」
  「いー!じゃなくてさ、とりあえずテスト受けなよ、1試合で金が物凄く入るんだよ!。」
  「お金が問題じゃなくて、なんで違法な事をさせられないといけないの!」
パン!と手を叩く音がした、二人がその音の方を向くと、 霧島が仁王立ちになっている。
  「ごたごたいわなくていいから、その子のテストするよ、さあ、亜沙美ちゃんだっけ?動き
やすい格好してこれつけて。」
  霧島が、亜沙美に赤いグローブとマウスピースを差し出す。
  「はやくっ!」
  霧島の声にビクッと体をふるわせて、亜沙美はそれらを受け取った。
「これって漫画でよく見るマウスピースってやつ・・・・」
「そう、それをくわえて早くグローブつけなっ!。」
霧島の声にまたビクッと体をふるわせて、とりえあずマウスピースを口にくわえた。
きちんと亜沙美の口にあわせて作られていないマウスピースは大きく、亜沙美の口がもっこり
盛り上がって顔を少しぶさいくにしてしまった。
「ジャージ持って着てないよね、どうしよっか。」
「じゃあさ、ここにいるのみんな女なんだから下着だけになったらいいよ。」霧島が即答した。
「もが・・・」亜沙美が顔を横にするが、マウスピースでうまく喋れずにあっという間に下着姿に
させられてしまう。
「よしと・・・じゃあ亜沙美ちゃん、かわいいパンツね、小学生みたい‥‥胸私よりあるんじゃな
い?。まあそれはよしとしてさ、真澄ちゃんとスパーやってみて。」
「もがが?」
急速の展開で、二人はリングにあがらされた、真澄はジャージを持ってきており、マウスピース
も口に合わせて作ってあるので亜沙美のようにモガモガ言わない。
「えーと、じゃあ10分ほどスパーしてもらおうか、真澄ちゃんは試合用に鍛えてあるし、試合にも
出たことあるから強いよー、がんばってね亜沙美ちゃん♪。」
そう言うと、霧島は手にもっているゴングをカーンと鳴らした。
「まっふぇ(待って)」と言う真澄の口から唾液が糸を引いて垂れた。それをぬぐおうとしたその時、
真剣な顔をした真澄と、青いグローブがすぐそこに迫っていた。

スパン!

「ぶっ・・・・」亜沙美の口から唾液が吹き飛んでロープにペチャッと付着した。

「ぶう・・ぶう・・・」亜沙美が口で息をするたびにはみ出たマウスピースのと口の間から唾液が
散る。

ズパッ!

またもや鋭いジャブが。唾液がリングに落ちた。

「んーっ!」パンチを打ったこともない亜沙美は大振りのパンチを振り回すが、真澄にことごとく
かわされて、その度にカウンターを打ち込まれる。すぐに二人の足元には亜沙美の唾液まみれに
なった。

ズン・・・・亜沙美がその場にダウンした。
すぐに起きようとしてグローブを動かすが、少しクラクラして立てない。グローブを動かすたびに唾液
が車のワイパーの後のように広がる。自分の唾液ながら臭いなと亜沙美は思った。立とうとする
とさらに力が入って口から唾液があふれ出てグローブに付着した。
「亜沙美、こんなに弱いの?もう終わり?殴っていいんだよ?」
初めて亜沙美の頭に「くそ」という汚い言葉がうかんだ、くやしいという感情が沸いてくる。

本来なら10カウントは過ぎているであろう時間を経過して亜沙美は立ち上がった。

「よーし、その調子その調子。」霧島が嬉しそうに拍手をする。
「亜沙美、よだれをたらしてみっともないね、打ってきなよ。」

パン!

亜沙美の腰の入っていない弱々しいパンチが真澄の鼻に命中した。少したってから鼻血がツツー
と垂れてくる。
やった。と内心喜んだ、その瞬間

グシャッ!!

鼻血を出したことにキれてしまった真澄のストレートが亜沙美の頬をひしゃげた。
「ゲボ・・・」亜沙美の口からマウスピースが飛び出した。マウスピースはベシャッとコーナーポストに
当たって唾液を放射状に散らしてマットの上を数回ボトンボトンと跳ねた。
亜沙美は舌を出して唾液を吐き出しつつ半分気絶していた。自分の唾液で下着は濡れたような
状態になっており、地肌が透けて見える。
  その姿を見て真澄は少し冷静になった。
「あんた唾液出しすぎなのよ、パンツ透けて見えるとこ見えちゃってるし、」
そういいながらコーナーポストの近くに落ちているマウスピースを拾ってクンクン嗅いだ。
「それにマウスピースヌルヌルして汚すぎだし、あんたの歯茎とツバの匂いで臭すぎ、くやしかった
ら立ってみなさいよ」そう言いながら真澄はもう一度マウスピースをクンクン嗅いで、放心状態に
なっている亜沙美の口に押し込んだ。しかしすぐにペッとそれを吐き出してうつぶせにダウンした。

ドン・・・・

ダウンした後にマウスピースがマットを跳ねるボトンボトンという音が鮮明に聞こえた。

(霧島が何か言っているがもうどうでも良かった、このまま試合が終わってもいい、真澄を一発でも
殴れてこの学校生活良かった・・・ああ・・・あしたのジョーみたいにマウスピース吐き出してダウン。
でもあんなにドラマティックに飛ばずに地味にゴロンと転がるだけなんだ。それに実際は唾液まみれ
で汚いもんなんだな・・・・)

亜沙美は倒れたままになってしまおう、もう終わらせてしまおう、そう思った。

5・「得意技は」

「あっ、倒れてこのまま終わらそうとしてるね。」霧島がロープを掴んで亜沙美をどなりつけた。
「まあね、この業界は負けても客が喜んだら金は入るんだけど、やっぱり勝つともっとお金もらえるわけよ。だから
立ち上がりな、ちょっと小技教えてやるから。」霧島はまたもやにやりと笑った。

「霧島さん、いいよ、亜沙美このままじゃあボッコボコにしちゃうし、私は色々技知ってるから教えてあげて。」
真澄は余裕の表情で、グローブのひもにほつれは無いか確認している。

(うー、立たないと終わりそうもない・・・うー・・・。)

亜沙美が自分のマウスピースをグローブで掴んで自分の口に入れた。自分の口に入っていた物なのに少し冷たいが
違和感を感じたが少したつと口になじんで来た。
「むー」足をガクガクさせながら何とか立ち上がった。

「じゃあさ、亜沙美ちゃん、真澄ちゃんのパンチ当たるの嫌でしょ?パンチが飛んできたら手ではたいたり、自分が
しゃがんじゃえばばいいのよ。」

(はたけって、しゃがめって、急にできるわけないじゃん・・・)

そう思っているうちにも、亜沙美の顔面に連続5発のジャブがピシピシと当たる。

「このままじゃ亜沙美、明日立てないようになっちゃうよ!」真澄がストレートを打ってきた。
とっさに、亜沙美はそのストレートをはらうように拳の軌道を移動させた。
「そう!それそれ! それがパリングっていうのよ!うまいじゃん!」霧島が嬉しそうにはやしたてる。
くやしさのあまり、真澄はもう一度ストレートを打ってきた、しかしそれもパリング。
(何?遅く見える!真澄のパンチが遅く見える!)
「くっ!」真澄が大きく踏み込んで一瞬で亜沙美の前に姿を現した。
「これは見えないよね!」

スバッ!

亜沙美には何がおこったのか分からなかった、パンチがどこから来るのか見えない、近距離からのフックだった。

スバッ!スバッ!スバシャッ!

亜沙美は散発の強烈なフックを食らって、血を宙に吐き出した。
さらにジャブを数初打たれて、どんどんロープぎわに追い込まれる。
ズン!
今度はボディが打たれる、次々に打たれながら、亜沙美は恐怖のあまり自分の股間が熱くなるのを感じた。
それが失禁だと分かるのに数秒もかからなかった、液体は腿を伝ってリングにポタポタ落ち、しばらくすると大量の
液体が足首までジョロジョロとこぼれた。

「霧島さん、亜沙美のやつ、もらしちゃったよ。」

亜沙美はロープダウン状態になって、顔は腫れ、口からはみ出したマウスピースは血と唾液にまみれてはみ出した
先端からその液体をダラダラと流れだして、下着は失禁の為に濡れて、足元に尿の水たまりを作っていた。
だがそれも認識できない位に意識が飛んでおり、まるで夢の中のようだった。

「くさっ、確かに客には受けると思うわ、桐嶋さん、こいつ合格させて試合出したら面白いかもよ?」

カフッと音がして、亜沙美がマウスピースを吐き出した。血にまみれて跳ねるたびに血の跡を残す。
そのマウスピースを見て、真澄がグローブで口をおさえる。
「うっ、こんなマウスピース久々に見たよー、汚いっていうかエグいよね〜。」

「・・・シングはやりません・・・。」小さい声で亜沙美が言う。

「何だって?

「ボクシングは・・・やりません・・・。」そう言うと亜沙美は言葉とうらはらにファイティングポーズをとった。
「よーし、霧島さん、続行していい?」
「危険だけど、ファイティングポーズとってるからやっちゃおう。」
OKサインが出るやいなや、ロープダウンしている 亜沙美に真澄のストレートが襲い掛かる。
腰を落とした瞬間、亜沙美は自分のこぼした液体で足をすべらせて、偶然にも左足が前に出て、右ストレートの
外側へスリッピングでよけるような形になった。目の前には真澄の顔だけがある。
亜沙美は前に出た左足から右足へ体重をかけて、フックを打った。

グシャ

ものすごい音がして、真澄の右頬にめりこむようにフックが当たった。
その衝撃で果実を握りつぶしたように、真澄の口から大量の唾液と、ヌルヌルにぬめったようなマウスピースが
飛び出した。

ズダン!!

真澄がダウンして、目を白目にして、射精している男精気のようにビクビク痙攣を始めた。

ビチョン ビチョン・・・
マウスピースが空しく音をたてながらバウンドした。

6・「負け」

 (うわー、どうしよう、どうしよう、どうしよう・・・。)痙攣する真澄を見て亜沙美はパニックになった。自分のパンチで
まさかこんなになるとは夢にも思わなかった。
  「おーい、真澄ちゃん、素人のパンチ一発でおねんね?」 霧島はあきれたように言う、人を何だと思ってるんだ、と
亜沙美は腹が立ったが、真澄が起き上がってくると怖いので黙っていた。
  「おーい、真澄ちゃーん、立たないと負けになっちゃうよ。立たないと亜沙美ちゃんを試合に出しちゃうよー。」
その声に反応するように真澄がむっくりと上半身を起こす。目が本気になって亜沙美をにらみつける。
「あ、いや、あの、痛かった?ごめんねー。」真澄に笑いかけるが、もう冗談ではすまない。ゆっくりと起き上がる真澄。
そしてファイティングポーズ、亜沙美の足がブルブル震える。

ゴッ

 

(‥‥‥‥。あれ。)意識が戻った、いつの間にか自分の家の布団に寝ている。夢かうつつかうつつか夢か。
「いつつ・・・」 顔に絆創膏が数枚張り付いており、晴れ上がって痛い。
ゆっくり布団から起き上がる、まぎれもなく自分の部屋だ。
(やっぱり負けたんだ・・・・)
「お母さーん。」ふすまを開けてお茶の間へ入った。
「霧島・・・さん?」
何と、母と霧島が仲良さそうに話していた。
「よーっ!亜沙美ちゃん、今日のギャラ持ってきたから。」
「ギャラって何ですかぁ?」
「えとね、真澄ちゃんとの試合をビデオにとらせてもらってたから、ギャラ持ってきた。売れに売れてさー。」
そこで亜沙美は、何故あんなに倒れても試合をさせられたのかが分かった。
「20万もらったよ、あんた、この業界に入りなさい。反対しないよ。」母親が言う。
「ボクシングはしないって・・・もうあんなに殴られるのごめんだよぉ。」
「あら、じゃあ殴られなければいいじゃない?特訓してあげるよ。」霧島がニコニコ顔で言う、きっと20万なんて問題無い
位にお金が入ったから上機嫌なんだな、と亜沙美は思った。
「霧島さん、もうイヤだよぉ、勘弁してよぉ。」
「うん、まあ無理にとはいわないわ、とりあえず一週間後に真澄ちゃんの試合があるんだよね、見に来たらいいよ、関係者
はタダで入れるからいっしょにいこう、これも無理にとは言わない、迎えに来るから考えといて。じゃあお母さん、お邪魔し
ましたね。」霧島が立ち上がって玄関へ歩く。その途中振り返って
「あなたは練習したらチャンピオンになれるかもね、パンチが当たってどうだった?」そう言って返事を聞く間もなく出て行った。

 

7・「悩み悩んで」

霧島の言ったとおり、次の日も、また次の日もボクシングの事、いや、人を始めて殴ったことが忘れられなかった。
喧嘩なんてした事がない、しかもあの自分をいじめていた真澄に強烈なフック。
ボクシング・・・ボクシング・・・ボクシング・・・だけど裏世界のボクシング。
本当のボクシングをやる?でもお金は入らないかもしれない。
悩む、痛いのはイヤだけど、あの殴ったことは忘れられない・・・

8・「試合の朝」

「こーんにちはー」霧島が家のドアをあけて入ってきた。
「ああ、いらっしゃい」と応対する母の声、しょうがない。見に行くだけ見に行くか、そう考えて亜沙美はふすまを開けた。
「見るだけでいいですか・・・まだ決めてないんだけ・・・」そう言いかけると霧島は亜沙美の手をとって無理やり外へつれて
出た。
「もう試合始まっちゃうからとりあえず車に乗って!」

バタン、後部座席に乗る。「よっ」相変わらず元気な真澄の挨拶、この前の試合の怒った顔を思い出すと、亜沙美のお尻の
穴はキュッと締まるのだった。
「お、おはよう、この前はどうも・・・」
「今日の試合の奴を倒したら一発でチャンピオンになれるんだよ!ちゃんと見ときなよ!」
「う・・・うん、チャンピオンになっちゃうんだ。」
「なるなる、勝てる自信あるしね。」
三人の乗ったBMWは物凄い勢いで走る。

9・「試合会場にて」

車は古いビルにとまる、五階建てのようだが、ガラスが割れて廃墟のようにとても汚い。
人は誰もおらず、本当にここで試合が行われるのだろうかと亜沙美は首をかしげる。
その間にも霧島と亜沙美はどんどん歩いていく、その後を突いていくと石壁に取っ手が付いている、それを引っ張ると
ゴゴゴと音がしてそこが開いた瞬間、物凄い歓声がどっと漏れてきた。
三人が中に入ると、サングラスをかけたスーツの男が急いでドアを閉めて、またそこは密室となった。
まるで亜沙美にとって夢の中のようだった、想像以上に会場は広く、テレビで見るプロレス会場と同じくらいの大きさがあり、
ミラーボールが揺れて目がチカチカする。
  更衣室は無いようで、その場で真澄は着替えだすが、裸になった瞬間にお札が飛び交い、それを霧島が必死で集めて
いた。
「それではお待たせ致しました! チャンピオン福島響子と佐々木真澄の試合を始めます!」
真澄はトップレス姿に青いグローブ、白いトランクスに青いブーツ姿になっている。胸を出しているにもかかわらず、格好い
いなと亜沙美は思った。

7・「青春って何すか」

 響子の筋肉質の体から放たれるパンチは止まることを知らない。「やばい!やばいってぇ!」霧島はマットをドンドン叩きながら叫ぶ。
パッと血の雨が降る、それは亜沙美の鼻血だった。亜沙美は急いでゴシゴシと服にかかった血をふくが、じわじわと広がってしまった。
「ぐおぉ」低い声がして、響子のボディブローが真澄のへその辺りに突き刺さった。そして前のめりの倒れて土下座のように倒れた。
そのままふう、ふうと息を肩でしているが、相手の響子はまだまだスタミナがあるようで息をほとんど乱していない、つやつやとした体に
汗が美しく映えている。髪をはらおうと顔をふるたびに汗が髪から散って、美しいな、と亜沙美は思った。それに比べてあの真澄がこん
なに弱く、痛めつけられているのをみて、哀れになってきた。
  「もう駄目かよ!立てって!チャンピオンになれるんだよ!」霧島のテンションは落ちない。
真澄が響子の足にすがりつき、ゆっくりと立ち上がる、まるでホームレスが何かを人に渇望するかのように響子を見つめながら口をだ
らしなくあけ、その体にすがりながらゆっくりと立ち上がる。
  立ち上がったと思った瞬間に、響子のパンチが上から顔面に一発、槍のように突き刺さった。
グシャッと音がして、まるで真澄の顔面がつぶれてしまったのではないかと亜沙美は顔を覆った。真澄の体は後ろにぐるりと血の弧を
作りながら 一階転して、マットの上を体が跳ねて止まった。白目になってピクピクと上半身を少し痙攣させている。
  「ひぇ〜」と、思わず亜沙美の口から声が出た。もはやリンチ状態で、いつもの真澄に対する苛立ちは無くなった。
真澄の右目が腫れ、醜い顔になっている、しかし立ち上がる。
「そろそろ楽にしてやれ!」「もう見飽きたぞ!」と大きな声が飛ぶ、亜沙美は切なくなってきた。
「真澄〜」亜沙美は真澄を抱きかかえるようにした。
「もうやめたほうがいいよぉ、死んじゃうよぉ。」声をかけるが、決して亜沙美は首を縦に振らない。
真澄のマウスピースを口からねちゃりと出すと、手首まで血と唾液が混じった液体が垂れてくる。水で洗うが、なかなかそのヌルヌルし
た感触は無くならない。
  「真澄?真澄?」霧島が焦りながら顔をピシャピシャ叩いている。

「気絶しちゃったわー・・・。」

霧島は走っていって本部席らしき場所でそれを伝えた。

カンカンカーン

「佐々木真澄選手は、戦闘不能状態の為、福島響子選手の勝ちになります」と、アナウンスが響き渡り、歓声やヤジが飛び交い、ジュー
スの入っていたコップや紙くず、それに紙幣が飛び交った。
  響子がその中、ゆっくりと笑顔をうかべて、ぐったりとしている真澄に寄ってきて手をさしのべてきた。手を震わせながら握手をしようと
するが、ガッと手をつかまれ、そして引っ張られて 真澄はリングの中央に転がった。
いつの間にか響子は左手にマイクを持っていた。

「負け犬!」

その一言でさらに盛り上がる会場、響子の手によって真澄がトランクスを脱がされる。
もう力尽きた真澄は股を開いたまま何の抵抗もしない。

(むっかぁ!怒髪天!)亜沙美は怒った、これではあんまりじゃないか、一気にリングの上へ上がる。
「ほー、あんたセコンドよね、やる気?」響子が構えるが、その瞬間にトランクスとマイクが亜沙美の手へと移動していた。
そのあまりの速さに呆然とする響子。
「あ、あんた、ひっぱたくわよ・・・」ボツリとマイクにむかって言う。

会場がさらにヒートアップして
「何と!チャンピオンに宣戦布告です!」とアナウンスの声。

「ち、違います、ただ一発ひっぱたきたいかなぁなんて・・違います!」そう言うが、マイクの電源は既に切られており声はどこへも届かない。
「ちちち、違うよぉ、違うよぉ。」涙目で叫ぶ亜沙美、手にぐっしょりと汗をかいている。

「違うよぉ!」

2章・裏って厳しい

1・「裏トレ」

  かびた匂いのする霧島ジムには、戦意喪失でボーっとしている真澄、金を数える霧島、
そしてトレーニング初日で何をして 良いのか分からない亜沙美の三人しかいない。
  「霧島さん、トレーニングって何するの?」
  「トレーニングって、走ったり、そこにあるパンチグボール叩いたり・・・それから・・・。」
霧島は必死に思い出そうと考えているようだった。
 「このジムは霧島さんのオヤジさんがやってて、霧島さんが継いだのは裏ボクシングだけだか
ら、トレーニングなんて分かるわ けないよ。」 真澄がそう言うと、霧島はキッと睨んでこう言った。
  「余計な事は言うもんじゃない、怪我人は怪我人らしく大人しく黙ってるもんだよ!。」
亜沙美は霧島の過去に何かあるんだろうなと思ったが、怒られるのは嫌なので何も言わな
いべきだと思った。
 「とりあえずさ、これで何か本かってきて、それでトレーニングやってよ、設備はタダでいく
ら使ってもいいから。」
そう言って霧島は財布から5000円出して亜沙美に渡した。
  「おっ、私も付いてってやるよ。」真澄が少し元気に見える。
  「じゃあ、もう二千円あげるから二人で何か食べてきな。」
亜沙美と真澄はジムを後にする。亜沙美がふと振り返ると、霧島の背中が寂しそうに見えた。

2・「 ハンバーガーにコーラに涙味」

  二人はハンバーガーショップに入って、ハンバーグにコーラにポテトのセットを食べることにした。
「さっきの続きだけどさ」真澄が切り出す。
「霧島さんのところ、オヤジさんの代にはいい選手いたんだけど経済難でジム手放す事になっ
て、その選手たちは 他のジムに 引き取られる形になっちゃったらしくってさ、家も破産寸前に
なって母親は家を出て、そのオヤジさん、そのまま死んじゃったらしいんだよね。」真澄がコーラに
ストローを刺してチューチュー飲み始めた。
「それで、何で霧島さんが地下ボクシングなんてやってるの?」ポテトをカリカリかじりながら亜沙美
が尋ねる。
「分からない?オヤジさんの意思を継いで、ジムを立ち直らせて繁盛させるのが目的なのよきっと。」
「ジムを立ち直らせても誰も帰ってこないんじゃない?」
パシッ!亜沙美の頭を真澄が叩く。
「いででっ!」
「野暮な奴だよ、あんたは。」
「叩かなくてもいいのにー。」
「まあ、今言ったのはただの憶測だからね、実際に地下ボクシングやってて金は入ってるけど、まと
もな選手なんて一人も入れる気配ないし、何か他の目的があるのかもね。」
二人は黙り込み、ハンバーガーに手を出してムシャムシャと食べだした。
「真澄、あんまり音立てて食べるのよくないよ。」
パシッ!
「いだだっ!・・・なんか鼻血の匂いがするよぉ・・・」
「黙って食っとけ!」

3・新入

 「ただいまー」
「よっお帰り。」霧島がジムの床にモップをかけている所だった。
「本買ってきた?」
「あ・・はい、これです。」亜沙美が差し出す。
「ふむふむ、まあ本なんてどれもいっしょでしょ、それ見て頑張ってね。」モップ作業を続ける霧島。
「とりあえず縄跳びでもします、ドラマで見たみたいに、右左とステップ踏みながらやるんですよね?」
誰にも反応が無かったので、亜沙美は無言で縄跳びを始めた。
「ふんっ!」鼻から息を出して、真澄がシャドーを始める。それを見て亜沙美は縄跳びを止めた。
「か、かっこいー!」
真澄はその言葉に気にすること無くシャドーを続けている。
「 霧島さん」シャドーを続けたまま真澄が言った。
「なんかさ、裏ボクシングの世界に入りたいって同級生が二人いるんだけどさ」
「ほう、」霧島がモップの動きを止め、柄によりかかる形で真澄の方を向いた。
「呼んでいいかな?」
「ああ、いいよ、どんなヤツか気になるね、携帯番号知ってるんなら今から呼びなよ」
そう言うと、霧島はモップかけを再開し始めた。
(なんでモップかけてるのに、このジムはこんなに汚いんだろう?)亜沙美は思いながら縄跳びを続ける。

それから二時間後

「すまん、遅れてしまった」
「ついでにいっしょに遅れたヨ、ごめんネ」
ジムの入り口で二人の声がした。
「おー、来たか。」マンガを読んでタバコを吸って座り込んでいた霧島は、タバコの火を床にグリグリと
擦り付けて消して立ち上がった。
「お前らさ、とりあえずなんでここに来たの?まあ入りなよ」霧島がオイデオイデをすると、二人はジムの中に
入ってきた。亜沙美はポカーンとその風景を見ている。
「自己紹介から、私は義経慶子だ」
身長は160センチ位、肩までストレートに髪を伸ばしている。
その目は鋭い。
「恥ずかしながら、父の莫大な借金の返済の為、恥を忍んで参りました、試合をさせて頂きたく思っております」
「借金か、よく聞く話だね」霧島がニヤニヤと笑みを浮かべながら慶子の方へ寄った。
霧島は、慶子の全身をなでるようにさわった後
「ほう、いい体してるね、っていうか、足の筋肉がすごいな」と言った。
「陸上の高飛びをしておりました、ただ、このまま陸上選手になっても、その、金の面で・・・」慶子が言葉を詰まらせる。
「よしよし、皆まで言うな、ジムにいれたろ!」
「ありがたい、本当にありがたい」真顔で慶子が言う。
(あれ喜んだ顔なの?)亜沙美は思った。
「さて、次はあんたね、名前は?」もう一人に霧島が話しかける。
背は150センチ程度、ショートヘア、体もさほどしっかりしていないように見える
服もダボッとしており、何となくだらしない印象だが、顔はロリータマニアに飛びつかれそうなほど可愛い。
「 飛田涼子ダヨ」
「なんでここきたんかい?」
「なんとなくやってみたくなったんダヨ」
「スポーツ経験は?」
「山ほどあるヨ、全部クビになっちゃったんだヨ」
「あんた、問題児だねぇ」嬉しそうに霧島が、涼子の肩を叩く、涼子は無反応だ。
「体はあんまり出来上がってないみたいだけどなぁ・・・よし!あんたも入れたろ!とりあえず頑張ってみな!」
「あいヨ」
「なんか面白いヤツ連れてきたなぁ、真澄よぉ!」霧島が振り返って、パンチングボールを叩いている真澄に言った。
真澄は、黙ってパンチングボールを続けている。
「そうだ!」パチンと手を打って、霧島が大声を出して、そのまま奥の部屋に入っていった。

4・団体戦

霧島が奥の部屋から、嬉しそうに出てきた。
「おい! 亜沙美!」
「はっ、はいぃ!」亜沙美はビクッとして気を付けをした。
「お前の例の試合、日程が決まったぞ!一週間後だ!」
「いっ、一週間後、一週間後・・・・」
亜沙美の脳裏に、自分が一週間後にズタズタにされるイメージが浮かんだ。
へなへなと崩れ落ちる亜沙美。
「まーそう緊張するな!」霧島は、へたりこんだ亜沙美に抱きついた。
(そうだ、この人にはお金が入るから、お金しかないんだ、お金しかないんだ、お金しか・・・)
「ただしな」霧島が、亜沙美の両頬を両手ではさんで自分のほうに向かせた。
亜沙美のくちびるがタコのようになっている。
「団体戦だ、ここにいる4人で試合するように交渉してきたぞ!」
「ふぉっ!」顔を挟まれたままの亜沙美が変な声を出した。
「ふぉっ!じゃないよ、団体戦、あんた一人で戦うわけじゃないから気が楽でしょうに」
霧島は亜沙美の頬から手を放した。
「でも、やっぱりあの人と戦わなきゃいけないんですよ・・・ね?」上目遣いで亜沙美が言う。
「もちろん!あの試合の後にタンカ切ったからには、お前が「大将」でヤツと対決するんだよ!」
「ああ〜」亜沙美は顔を両手で塞いで情けない声を出した。
「ははは、おもしろいな、そんなに悲観するな、命までは取られりゃせんよ!」ぽんぽんと亜沙美の
肩を叩くと、立ち上がって、真澄のパンチングボールを叩いている姿を見学している慶子と涼子の
方へ向かっていった。
「まーそういうわけ、聞いてた?一週間後に試合してもらうから」
「一週間後か、力いっぱい頑張らせて頂きますので」と慶子
涼子は、「わかったヨ」といって、ジムの床の上にゴロンと横になった。
「さあ、とりあえず今日はおしまい、皆帰りな」

5・慶子と涼子とは

帰り道、亜沙美と真澄はいっしょに電車に乗っている。
「あのさ、真澄?」
「なに?」
「あの涼子ちゃんって、いろんなスポーツやってクビになったって、よっぽど弱いんじゃない?試合
大丈夫なのかな?」
「あんた、人の心配せずに、自分の心配しろよ」
それを聞いて、すぐに亜沙美は暗い顔をしてうつむいた。
それを見て、フーとため息をついて、真澄は言った。
「弱いんじゃないよ、彼女が天才、異端すぎるから、どのスポーツの型にもはまらなくて、並の監督じゃ
扱えなかったんだよ」
「異端?」亜沙美が顔をあげて、涙目で真澄の方を向いた。
「なに涙ぐんでんのよ。異端児よ、いわゆるね、ボクシング界でも、きっと何かやってくれるわよ
あれは」
「そっか、じゃあ大丈夫かな・・・・私と同じくらいに体弱そうだから心配になってさ・・・」
しばし沈黙が続く、電車は空いており、夕方の西日が窓から差している。
「じゃあさ、慶子ちゃ・・慶子さんは強いのかな?」
「ああ、あの筋肉はただもんじゃないよ、踏み込みの力は物凄いんじゃないかな」
「そっか・・・じゃあ弱いのは私だけなんだ・・・」
「あのな、あと一週間で死ぬほど鍛えてやるよ、今日はほったらかしで悪かったよ」
「うん・・・」

 

6・ゲロ

「うげろげろっ!」

亜沙美はかがんで道脇で嘔吐している。

「体力付けろ! 雑草に栄養やってる場合じゃないぞ!」

亜沙美、真澄、慶子、涼子の四人で体力作りに走り込んでいるのだが、普段あまり運動をしていない

亜沙美は一人遅れている。

「しっかり!」慶子が声援のつもりで言うが、叱咤しているような雰囲気しか出していない。

「ダメダメ、うげー、もうダメ」

「ゲロ女」「ゲロか」「ゲロだネ」

三人に言われるが、とりあえず必死なので悔しがっている暇は無い。

「エネジードリンク系のギンギンに冷えた奴が飲みたい!」

亜沙美は真顔で訴える。

「あー、私も飲みたいヨ、買ってこようか?」

涼子がそう行ったやいなや、亜沙美はブンブンと頭を縦に振った。

「うげろ……」

頭を振ったせいでまた嘔吐した。

「馬鹿」「馬鹿か」「馬鹿だネ」

どうやら亜沙美の皆の中のスタンスは馬鹿になったようだ。

「まあしかし、結構走ったしな。木陰で休んで、エナジードリンク系いっちゃう?」

真澄が額の汗をぬぐいながら言う。

という訳で木陰で一休みとなった。某エナジードリンクを皆の分、涼子がコンビニで買ってきてくれた。

皆で一斉にプルタブをプシュッと開ける。

そして皆の喉が勢い良く鳴る。何やかんや言っても皆も喉が渇いていたらしい。

 

7・夏影

 

「ちいせえ、すっごくちいせぇ」

真澄が急に大声を出す。

「え、何。真澄ちゃん哲学?」

と、亜沙美が余計な事を言い、真澄に頭を殴られる。

「いたたた、急に『ちいせぇ』とか言うからだよ」

「まあ、これって哲学なのかな、なんかこう青空を見てると本当に人間ってちいせぇなぁって」

真澄はそう言って穏やかな顔になる。

「うん、ちいせぇねぇ」

「確かに小さいな」

「ウン、小さいネ」

四人は空を見上げて次々に言う。

しばらく沈黙が続き、それを破ったのは真澄だった。

「私さぁ、前回の試合、福島響子って奴に負けたじゃん?」

「あ、私が戦う相手? 大将だったっけ?」

「そうそう、亜沙美が対決する相手ね。何で私がリベンジせずにあなたに託したかわかる?」

「いや、わからない……な。私全然素人だし」

「あのパリングの技術に賭けるってワケじゃないけど、なんかわかるんだよね、あんた強いって」

「またまたー、さっきゲロ吐いたばっかりの私だよ?」

「あのさ、自分の汚点はせめて隠そうとしなよ……」

「いやー、だってもう隠しよう無いっしょ、みんなの前でうげぇーって」

そこで慶子が割り込んできた。

「パリング? 何なのだそれは?」

「ああ、こいつさぁ、相手のパンチを叩き落す技が得意なんだよ」

真澄がそう答えると、慶子は亜沙美の前に立ちはだかってファイティングポーズをとった。

「な、何?」

当然亜沙美は焦った。慶子は殴る気マンマンだ。

「見せてくれ、そのパリングとやらを」

「ちょっと待って慶子ちゃん、なんか本気で殴る気マンマンだよね? だよね?」

「そうだ。行くぞ、パリングをしてみろ!」

シュッ! と空気を切る音がする。

「いやだぁーっ!」

パーン!

慶子の拳は見事に叩き落されてしまった。

「つつっ、確かに凄いな、本気で打ったのに素早く叩き落されたぞ」

「いやー、これだけが取り柄っていうか、っていうかやっぱり本気で打ったんだ……」

「そうだが?」

「そうだが? じゃないよ。戦友なんだから本気のグーパンはやめようよ……」

「グーパンとはどういう」

「いやもういいよ。まったりしようよまったり」

「そうか、その、本気のグーパンをして……悪かった」

(慶子ちゃんって生きるの大変そうだな)と亜沙美は思った。

「なんつーかさ」

皆が座っている中、真澄は立ち上がる。

「なんっつーか、若いほぼ大人の四人の女が格闘技だよ? 青春だよね」

 

入道雲がもくもくと空に漂っている。

木陰には心地よい風が吹き込んでくる。

 

「なれるのかなぁ……私達親友に」

真澄のその言葉に慶子は顔をしかめて言う。

「戦友では駄目なのか?」

「戦友でもいいんだけどね、どうせ繋がるなら一生モンの付き合いにしたいじゃん?」

「そうなのか、戦友より親友とは良いものなのか?」

「子供の頃からいるでしょ、一人や二人。心を許せる友ってヤツが」

真澄がそう言うと慶子はうつむいて暗い顔になった。

「稽古、稽古でそのようなものは作れなかったな。どういう間隔なのかもわからない」

「そっか、まあこのまま四人で仲良くやってたら親友に……なれるかもしれないしね」

「そ、そうか。親友とはそんなに良いものなのか知りたい!」

慶子は真剣だ。

「そこまで暑苦しい熱心なモノじゃないよ、まあそういうものもあるけど」

「そうか……」

 

真澄と慶子が話していると、涼子が立ち上がった。

「人って裏切るヨ、だから私はのほほんとテキトーにやって行くんだヨ」

他の三人がハッと涼子を見る。

 

「出会わなければ良かったって事も世の中にはあるって事ダヨ」

涼子は笑顔だったが目だけは笑っていなかった。

 

「あ、もうちょっと個人的に運動して来るヨ」

皆の意見も聞かずに、涼子は木陰から出ていき、走っていった。

残された三人は沈黙を続けていた。